2012/01/25(814) 『一昨日は「元気の約束手形の謎とき会」だった。・・・ 』

一昨日は「元気の約束手形の謎とき会」だった。

先月のその会の様子が、「メトロミニッツ」という地下鉄においてあるフリーマガジンに掲載中。

 
すごく人気のある雑誌なので、すぐになくなるらしい。

「特集」が、東京シェアLIFE。この会に参加されている界隈のカフェなどのオーナたちの、「生き様」がうまく表現されていて、勉強になった。

雑誌をつくっている30代前後の人たちの「新しい感覚」に、驚かされる。

脳化社会というか、いろいろな情報が氾濫しているけど、情報もシェアできる。

どうせいっしょにシェアーするなら、食事と同じように、気のおけない仲間といっしょに脳化したいものだ。そんなことを、つくづく思った。

「英語の会」と「順受の会」は池袋時代からやっていたけど、押上にきてから、毎日のように、参加型の「文花的な寺小屋」が盛んになってきた。

誰が生徒か先生か、とか資格とかは問わず、自然に集まってきて、共に楽しみながら育つ、つまり「共育」に主体をおいている。

昨日は「タイムドメインの日」だった。

大手オーディオメーカーをスピンアウトした吉井さんが、タイムドメイン理論のオーディオ「yoshii9」をつくった。経営は厳しそうだけど、音のクリアーさは群を抜いてすばらしい。

音にも「人間性」がでるのかも。気骨がある人が魂こめてつくったものを身近におきたいものだ。

昨日はコルトレーンを聴いた。ワカが大好きで、葬儀の時はコルトレーンをかけるようにと遺言があったらしい。2月3日に三鷹にある彼のお墓に、熊本人吉から遺骨をもってきて、分骨する。

「凍てつく冬の夜、すこし仕事に疲れ、目をつむりながら聴く、そんな時は、コルトレーンがいい」、と生前話していたことを思い出す。今月31日(火)は、「ねっと31ライブ」があり、ワカとふれあった仲間たちが集まって、JAZZを聴く。国貞雅子は、ワカが最初につれてきた歌姫。彼女の歌を聴いていると、悲しみの底の底あたりに見える小さな希望みたいなものが感じられる。ワカを偲ぶにも、タイムリーなライブになるに違いない。

28日(土)は、お花の会。

原田先生が山口の宇部から月に一度上京して、花を教えてくれる。

あまり知られていないが、ワカも生前、この教室にきて、花を習っていた。

老後は熊本で、そばやをやりまがら、「お花畑構想」(町中を季節ほとに、いろいろな花が絶えず咲いている)を熱く語っていた。

お茶やお花は、方程式も到達点もなく、ただ自分自身と向き合うような「道」だけど、繰り返しの中で、繰り帰ってみると、うっすらとでも道らしきものが見えてくるものなかなあ、と最近思う。

30日(日)は「竹細工の日」

大分別府から、毎月二回、竹の匠たちがきて、竹細工を習っている。

昔から、日本人の生活の中には、竹でつくった道具がたくさんある。

30日(月)が、「順受の会」、論語の会だ。

今年は岩波文庫の「易経」(高田真治)の下が教科書。

しいわく、吾れ 十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑わず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順がう。 七十にして心の欲する所に従って、 矩を踰えず・・・か・・

まだまだだ。                                   

感謝・野村拝