寒い日が続く。昔から「寒の水」といったこの季節の水はひょっとしたら「神の水」だったのかも知れない。
お煎茶の世界では、事始めの茶会を「初煎会」などという。
清らかな寒の水を、火にかけ、颯々(さつさつ)の音をあげ、ゆるゆると白い湯気をあげるボーフラから急須に注ぐ時、えもいわれぬ凛然たる刹那な風合いは、まことに清冽(せいれつ)世界。
ふつか続けて、その寒の水で「味噌つくり教室」をやった。
豆腐やさんと同じように前の日の夜にずんどうに大豆をいれ、水に浸して、一日寝かす。それを次の日に、石油ストーブの上で長風呂のようにことことさせる。なんともいえない、慈しみ深い香りにつつまれる。
ものの本によると、そばが大陸から対馬を経由して、北九州に入り、しばらくは、そばがきにして食べていた。
それを、最初に「そばぎり」にしたのは、お寺だった、という説がある。
汁をどうしたか?大豆の煮汁に醤油をいれ、下ろし大根なんかを入れて食べたらしい。
金曜日に、神主の資格を持つ友達が夜遊びにくるので、大豆とかえしで出汁をつくって食べてもらおうか?などと思っている。金曜日も味噌つくり。
そば粉も、珈琲の豆も、大豆も・・・皆、一粒一粒に、いろいろな「手」がかかっているし、ひとつぶひとつぶの「命」が宿っている。
粒々皆辛苦、「♪若いという字は、苦しい字に似てるわ・・・」という歌があったけど、辛苦というのは、若くて、生きているときこそ、味わうもので、味わいかたによっては、なんともいい味になるものだ。
今どきの「精進料理」は、なんとなく高級で高嶺の花、みたいなところがあるけど、今後戦争がはじまったりしたら、石油とか物価が急騰しそうやし、そうなったら、ほんとうに、みんなで精進料理をつくり低エネルギーの生活にせんとあかんわね。
「味噌つくり」とか「漬物つくり」とか「梅干し」とか「らっきょ」とかは、自家製にするといい。昔どこの家でもそうしたように。それに、そば、うどんが打てたら「天下無敵」かも。
縄文時代から神や自然に感謝しながら、生き暮らしてきた日本人にもどる、そんな時代かきたかのかもしれない。
感謝・野村拝