2012/02/16(817) 『政治が混沌としてきた。政治家といわれる人の「顔」や・・・ 』

政治が混沌としてきた。政治家といわれる人の「顔」や、経営者の「顔」がだんだん悪くなっていく気がするのは、ぼくの狭い主観だけではないと思う。

一番の原因は「精神的文化度」をみじんを感じない顔ばかり。
うまれつきの「顔」と、うまれた後につくる「顔」がある。精神的文化度がつくる「顔」とは、もちろん後者だ。

茨城県は、ひな祭りが盛んだ。たぶん日本一ではなかろうか?
天真庵で使っている石臼の里も、真壁という石で有名なところだが、真壁もこの時期は、「ひな祭り」をやっている。昨年の震災で、報道は少なかったけど、地震の揺れ、という点では、茨城が一番被害が大きかった。

でも、町おこしのために、「自分たちが楽しめて、訪れる人も楽しくする」ような人たちが元気な町は元気だ。
常陸国府館という常設展示場にいって、駐車場を聴いたら、スタッフの女性が親切に教えてくれた。そこには、福岡から寄贈された昭和4年のおひなさまが飾ってあった。なんだかわからないけど、ロマンを感じて熱くなった。

つぎに「町かど情報センター」にいく。竜にのった平清盛のおひなさま?
石岡は、かつては常陸の国の中心で、しかも平家の発症の地でもある。
町の中の神社やお寺、蔵や古い家のたたずまいを観ていても文化の香りがする。こんな町を、栄えた古い時代の波動にあわせて、歩いていると、幸せな気持ちになる。そこでは、お茶をごちそうになった。一煎いただいて、「ごちそうさま」といい、席をたとうとしたら、「もう一煎いかがですか?」と、ご婦人が聞く。酒蔵に寄る予定があるので、「じゅうぶんいただいたので、ご自煎ください」といったのに、二煎目がでてきた。「このあたりでは、一煎は、仏のお茶といい、二煎目もいただくのがならわしなんですよ」といわれた。京都のお茶づけと反対で、なんだかうれしくなって二煎目もいただく。付け加えると、精神的な文化度が高い町には、「茶の文化」がしっかり根付いていて、いいお菓子屋や、喫茶店などが必ずある。

とても温かい気持ちになって、てくてくと「府中誉」にいって、「渡舟」を買い、またてくてくと一升瓶をかかえて、古い蔵を改装した喫茶店にいって、能面を鑑賞しながら、サイフォン珈琲を飲む。
月に一度か二度は、石岡や八郷にいって、そばを食べたり、野菜料理を堪能したり、酒を飲んだりしているけど、「飽きない」どころか、ますます好きになっていく。

偉い人がでた町には、精神的文化が、土に宿り、風に香る。
日本中で、そんな町が少しずつ、小さな花が咲くように、めばえていくことを願う。

感謝・野村拝