やはり2月は逃げるように逃げる。今日は雪。
順受の会とは通称「論語の会」といい、天真庵が「儒学バー」になる日だ。
孟子、尽心編にある,「命にあらざるなし。その正を順受すべし。」から命名された。「文花的な寺子屋」 の原型で、池袋時代からやっていて、昨日は松田先生が一面に紹介された故・岡田武彦先生の記念館の発行する機関誌(雎關・かんしょ)」の表紙にも、天真庵のことにふれる文があった。
ついでにふれると、「雎關」は、五経の「詩経」を根拠にした言葉らしい。
この会では、論語をはじめ「四書五経」や「抜本塞源論」や吉田松陰の「留魂録」、西郷南洲の「西郷南洲」、佐藤一斉の「言志四録」などを学んできた。17年の歴史がある。ぼくは、門前の小僧か、典座(てんぞ)よろしく、厨房の中で食事を用意しながら、ときどき「いい話だな~」とか思う程度の浅学な朴念仁にすぎないが、机に坐る人たちは、志の高い聖人のような面々だ。最近は若い人や、女性が増えて、にぎやかになってきた。「日本人にかえれ」という振り子の原理かしらん?
岡田武彦記念館は、福岡の秋月という町にある。黒田藩の墓もあり、静かな里山の景色も文化も残っていて、気持ちのいい場所で、帰省すると必ずいく場所でもある。
もうひとつ福岡にはお気にいりの場所がある。八女茶で有名な八女の「星野村」。
玉露の産地で知る人ぞ知る、という町だが、その町で3月の31日に「お茶とお花の会」がある。天真庵の二階で月一お花を教えてくれている原田先生が、そこで花を生ける ことになった。理屈をこえて、いい場所。気風、風合、風土・・
今月から「(六三四)無茶しぃの会」をやることになった。
月に一度、634mのスカイツリーが見える天真庵の二階でお茶会。
抹茶ではなく、煎茶や玉露を入れて、少人数で楽しむ会。
近くのお菓子屋からお菓子を調達したり、大好きな山田屋まんじゅうを 食べたりしながら、楽しんでいる。そもそも、お茶は「自楽」といって、自分が楽しむもので、一客一亭、といって、できたら2人、多くても 5人くらいでやるのがいい、と思う。隠元和尚が伝えた普茶料理も、4人で大皿に盛った料理を、分けて食べる、を基本にしている。肝胆相照らす人たちと、同じものを食べる。「おいしく食べる」の基本。おいしいものを食べる、よりも、「おいしく食べる」ほうがよろし。
家で飲むと、50円?、天真庵で飲むと700円の煎茶を、わざわざ緊張しながら二階で正座しながら、飲むのに2000円也。
関西弁でお客さんに「その差はなんですか?」と聞かれ、「ぼくの説教つき」と答えた。でも不思議だけど、この「奇妙な指」に奇人がとまりはじめた。
これも「時代」なんだろうか?お茶を一服しながら考えてみる。
坐るとは、土の上に「二人」がいる。「自己」と「自我」らしい。そのふたつの矛盾と同居するのが人生。お茶には、この矛盾がない。
感謝・野村拝