晩稲と書いて「おくて」という。収穫するまでに時間がかかる稲のこと。
最近の男子は草食系で、おくて、のそれも、同じ言霊。
ときどき、といいうより、頻繁にいく茨城の蕎麦屋の前には、晩稲の稲の田んぼがあり、借景の里山との風景は、筆舌が及ばぬ蕎麦の味をよりひきたてる。蕎麦がでてくるまでは、「渡舟」(わたりぶね)を、グラスになみなみ注いでもらい、溢れた酒の受皿は、土味豊か益子の豆皿。
その豆皿を片手で口に運ぶ時の幸福感といったら他にない、くらい幸せな気分。
話は、ややこしいが、その「渡舟」が、くだんの「晩稲」の品種の酒米で、その蕎麦屋の主人が、蕎麦屋になる前に働いていた農業試験場で、尽力してその幻の酒米「渡舟」 を、復元させた。
その蕎麦屋は、毎朝石臼で大豆を挽き、豆腐をつくる。その汲みだし豆腐、木綿豆腐が、また酒肴として逸品で、左党としては、まさに「渡に舟」なのだ。
天真庵で珈琲豆を挽く石臼と、そのお店の大豆専用の石臼は、同じ作家。その縁で、ときどき、石臼挽きの「ほぼぶらじる」を土産に、蕎麦を食べにいく。原始的ぶつぶつ交換よろしく、帰りには、あちらの石臼でつくった「おから」なんかをいただいて帰る。
昨日もこの上なく上機嫌で東京にもどり、浴衣にきがえて「かっぽれ」。
「かっぽれ」は、大阪住吉大社の「住吉踊り」がルーツで、浅草寺で大道芸として踊られていたものを河竹黙阿弥が書き下ろし、市川団十郎が踊ったのを機に、変遷をかさねて、櫻川ぴん助さんが集大成した、ということになっている。
「あ、かっぽれ、かっぽれ」というのは、紀伊国屋門左衛門が帰ってくるときに、女子たちが船子たちを迎えたときに、踊っていた掛け声との説もある。♪あれは、さ~、みかん船・・・という歌もかっぽれの代表的な歌の中にある。そのほかに「深川」(深川の遊郭に通う坊さんの話)「伊勢音頭」(一生に一度はお伊勢参り、そのあとに遊郭で遊ぶ話)「奴さん」(小唄でも同じ演目があり、座敷芸として不動の人気)などがある。天真庵では、「ずぼらん」という演目を練習中。
やはり、助平ばお坊さんの話で、歌も踊りもおもしろい。
なかなか「バカになりきれない時代」にあって、「かっぽれ」というのは、歌と踊りが一体となって、狂喜な世界を堪能できるのが、よろし。
世の中、そう簡単に「渡に舟」なんてこと少ないけど、大好きな酒気に、おいしい日本酒をついで、できたら御座敷で、ゆっくり飲みたいものだ。晩稲もまたよろし。
♪この船はあなたが乗る船 あなたの棹は わたしが 行くとき借りる棹
混沌とした時代をのりきるには、こんな感じのゆったりした船がいいかも?
感謝・野村拝