第001話 『 天真庵が押上になったきっかけ 』

「升 たか」さんは長崎生まれの陶芸家。ぼくも九州出身で同じ青山のお店に出入りしていたので、親しくさせてもらっている。数年前に押上の長屋にアトリエを借りて、そこで作陶をしはじめた。昭和のはじめに建ったその長屋は、右隣が魚屋で、左が豆腐屋。彼が、ごはんをうまくたければ、それだけで「食堂」がなりたつような立地。部屋は傾いているし、やはり「隙間」があるけど、なんとなく「人間が住むに快適」な空間がそこにある。「肥後・天真庵」を結んだ時に、升さんにコーヒーカップを作ってもらった。その時に押上のアトリエに、手打ちの蕎麦や、自分で焼いた珈琲豆を持っていくうちに、近所の人や、お店や、職人や、アーティストたちと、仲良くなり、「この街に来て、カフェをやったら・・・」という話が浮上した。おだてられると、天まで昇ってしまうくらい「単純」な性格なので、「いいですよ、いい物件があったら紹介してください」と、軽く返事をした。ら、すぐに、「あったよ」と升さんから電話があった。

今、話題のカレー屋「SPICE CAFE」と同じ、「文花1丁目」。珈琲というのは、文明開化の匂いがするけど、「文花」というのも、それが花開くというような言霊を感じる場所。そこに築60年の古色蒼然とした二階建ての物件があった。まるで上海の疎開地にあった「カフェ」のようにえもいわれぬ風合いがあった。東京大空襲の時に、焼かれたしまったおじいちゃんが「アメリカに負けたのが悔しい」からと、新潟まで建築資材を、買いにいって、立てたらしい。その当時の日本人の「気骨」を感じた。
  そこに、建築家の「白井さん」をお連れしていろいろアドバイスをいただいた。そして、芸大の建築を出て、若手で注目されている中西君といって、いろいろ打ち合わせをしながら、「長屋茶房 天真庵」を計画中。中西君、林君、みかん君が毎日朝から晩まで頑張って作っている。これからは「競争」よりも「共生」が大切だし、芸術家たちが中心となって、日本発の「美しいものを想像するコラボ」みたいなものが、とても重要だと思う。